シナリオ創作の基本

数学者が神の存在を信じるというのは、何となく分かる気がする。全方位的に混沌、何の規則性も無いものに、一本の公式が明確な秩序を与える。そこに神の仕業を見ても不思議ではあるまい。
僕は全くの文系人間で、因数分解が登場以降の数学のテストで40点以上取ったことがない。追々々試まで行ってようやく進級したような男だが、この「混沌に実は秩序が存在した」ってのが大好きである。
そういう意味で、宗教は本当に面白い。例えば、世界の混沌を「因果」で表す仏教。
「因果」とは、原因があるから結果があるという、拍子抜けするほどに単純な思想だ。例えば「僕が携帯で誰かと話す」という行為ひとつとっても、そこには宇宙の因果が存在する。星の数ほどの因果を経由して、僕が誰かと何かを話す。ここを貫いている因果という秩序に惹かれてしまうのだ。

僕が大学でシナリオを専攻したのも、この思いと無関係では無いと思う。シナリオの基礎の基礎だが、すべての物事や行動には、原因が無ければならない。唐突な行動、意味不明な結果というのは歓迎されない。銃を撃つにはしかるべき理由がいるし、自殺するにも納得できる動機を描かねばならない。よって交通事故なんかは、シナリオ的に”禁じ手”とされている。偶然は許されないのだ。

最近、本棚を整理している時に、大学の時の「シナリオの基礎の基礎」ノートが出てきた。大学の講義やら本やらを自分なりにまとめたものだ。せっかくなので、冒頭部分をここに記しておこうと思う。ハリウッド的シナリオ創作の基礎といえる。

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『シナリオ創作の基本』

1.テーマの設定
まず、テーマとは「愛」や「人生」であってはならない。ついついこういった観念をテーマにしてしまいがちだが、「愛は素晴らしい」や「人生は悲しい」などの方向付けがされて、はじめてテーマとなり得る。ただし、テーマは前もって言葉にしない方が良い。作家が書きながら、結末を探しながら考えるものである。そうしないと、ついついテーマを剛速球で投げるような作品となってしまう。それでは伝わらない。テーマとは、あくまでやさしく放ってあげるものである。

2.ストーリーテリング
日本では古来より「起承転結」という4stepを使うが、現代の映画、特にハリウッド映画で基本とされているのは3step、「起転結」(序破急)である。

    • 第一幕「うずくまる」

何かに悩んだり、挫折したり、大きな問題が起きたり。登場人物は足掻く。のたうち回る。とてもかっこわるいシーンだが、これらを美しく描く事ができれば、次のstepでの華麗な跳躍につながる。うずくまって、しゃがんで、力を貯めている幕といえる。また、主人公は自分が物語の核であることを知らない。主人公の知らないところで物語を動かしていく。

    • 第二幕「跳躍する」

主人公は何かをきっかけにして、何かに気づく。自分の中に可能性を発見する。生き方を見出して明確な目標を意識する。前幕で貯めていた力を解放して跳躍する幕である。ここで主人公は、初めて自分が物語の核であることに気づく。その「気づき」をいかにドラマチックに仕立て上げるかが重要。

    • 第三幕「旋回する」

思わぬ方向に事態が動く。予測不能なとんでもない展開に。それがうねりながら、速度を上げてクライマックスに突入していく幕である。

3.キャラクター
基本的に、キャラクターには魅力が無ければならない。一番単純な魅力は、いい男やいい女であること。いい女の立ち振る舞いは、それだけで魅力的なのだ。他にも「特技」を持ってると魅力は増すし、二面性を持たせるのも良い。捨て猫を拾うヤンキーなどが典型的な例ではないだろうか。
また、人物には(当人が意識するしないに関わらず)目的に向かっての一貫した行動がなければならない。各個人に、それぞれ明確な目標を設定する事が重要である。その目標の達成過程において障害を発生させる必要がある。この障害を「カセ」という。カセとは足枷のことで、登場人物の邪魔をし足を引っ張る。とくに第二幕で跳躍しようとする主人公にカセをぶつける事で葛藤が生まれ、ドラマが生まれる。

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とまあ、こんな感じだ。ほんとうに基礎的なのだろうが、今でも、いわゆる「ハリウッド的」と呼ばれる作品は上記の法則に当てはまってる事が多い。そんな視点で映画を観てみるのも面白いと思う。一貫していることは、とにかく辻褄がちゃんとあってる事であり、原因結果がはっきりしていること。これが曖昧だと、映画は一気に難解なものになる。それは他文化多言語、さらには低識字率の国々といった世界に供給されるハリウッド映画にとっては致命的なのだ。
この後のノートはどんどんテクニカルなものになっていき、「キャラクターの設定や成長のさせ方」や「コメディックな手法」「台詞の構成」などと延々続いていく。いつかご要望があれば載せていきたい。たまには、こういう懐かしみつつ書いた記事もいいなあと思った。