背中にバカと貼られて

なにやら、葉月里緒菜が再婚したらしい。
なるほど世間で”魔性の女”といわれていたのは知っていたので、納得してしまったが、ふと立ち止まって考えてみた。
というのは、言葉のパワーである。言霊である。
言葉によって規定する事によって、物事は実態を持つ。また、それが言葉の役割だとも言える。
例えば、”死”なんてのはそうで、”死”というものは無く、正確に言えば”生きていない”ということだ。”生きていない”なんて、有るとは言えないけど、”死”と言葉をあてがうよう事によって、さも有るように感じてしまう。
かようにも、言葉のパワーというのは恐ろしい。
今回は、完全に葉月里緒菜は”魔性”として規定されてしまっている。本人の人格とは無関係に。
言葉によって損をしたケースだ。
さらに振り返って、僕はどうだろう。
最近、僕の努力は”必死”と規定された。
僕の節約は、”セコい”と規定された。
言葉は暴力だ。