僕が嘘つきになった日

自爆テロ」というフレーズを好んで使う人がいる。
語感もあんまり好きじゃないのだが、一番気になるのは陳腐さ。ニュースやら活字やらで頻繁に登場する言葉を、そのままなぞっている感じ。この辺が気になるというか、イヤだ。受け止め方としては、気の利かない冗談って感じ。そして、虚ろだということ。

違う理由で「自爆テロ」というフレーズを嫌う人がいて、彼が言う理由は「不謹慎」。
つまりは、人が死に、悲しみ、禍根を残す出来事を、どこか冗談めいて使う事に対して抵抗があるのだそう。
「まじめ」である。なんというか、冗談が通じにくいといったらいいのか。
この考え方を突き詰め、徹底していくと、自爆テロ実行犯のメンタルに近づく気がする。彼らは自分の信心を徹底し、必然的に自己をも犠牲にする。やはり、この部分に関してだけ言えば、真面目であると言えまいか。冗談が通じそうにないと言えまいか。

真面目に、迷い無く宗教に依存しているのである。

依存症、なんて病気が流行っているらしく、アルコール依存症とか、パチンコ依存症とか。宗教にも、依存症の側面はあるだろう。
○○依存症と、○○の部分に何でも入りそうな勢いだ。○○詐欺。これも何でも入りそう。
僕に関して言えば、サプリばかり飲んでいるので、サプリ依存症といった感じ。法律の許す範囲内でのドラッグ中毒者である。
最近やっかいだなと思うのが、人権依存症。何につけても、人権だ。比較的新しい概念である人権は跋扈している。ここ数十年来でもっとも巨大なモンスターとも言える。
他人の人権を守るよう努力する。同時に、自分の人権にも敏感になる。差別を無くそう。いじめを無くそう。でも無くならない。なんでだろう。無くならないから、自分はされたくない。周りを見わたして、注意深いポジショニングで、受け入れられない冗談を言わないように、笑いを絶やさず。
そうやって、人は世間依存症になっていく。