先に立たないものなのか

僕の欠点は・・・いや、僕にはけっこうな数の欠点がある。中でも一番やっかいだなあと思っているのが、動きが遅いという事だ。
これは、僕が常に一拍置く性格である事と無関係では無いと思う。
一拍置く、つまりは、いちいち立ち止まって考え込んでしまうのだ。何をするにも、「いや、待てよ」という思考から始まる。よりベターな行動をしようという貧乏性、さらには単純に動くのが面倒という亀のような発想が相まって、とにかく僕の行動を遅くしている。
例えば、携帯メールが来る。たいがいの人はすぐ返信するらしいのだが、僕は「待てよ」で一晩おく。一晩おいたら、発酵するかもしれんとか思って納得する。そして発酵しない。むしろ忘れる。塩漬けに近くなる。
クイックレスポンス、時代はそれを要求していて、「待てよ」で待ってくれる程のんきではない。
さらに今思いついた僕の欠点だが、塩漬けになるまで熟考したあとの行動を後悔する。
思いついてなんだが、改めて考えるとなんという不毛な行動をしているのであろうか。悩んで後悔、悩んで後悔の繰り返しではないか。
最近デジタルカメラを買ったのだが、買ったあとでネットとかの評判を見ていると、なんだか良くない。すると、俄然後悔し始める。ここで更なる発見だが、いきいきと後悔している僕がいる。
そう言えば「ああ、やはりチャーシュー麺にすれば良かった!」とか「買い物に行っておけば良かった!雨は降らなかったのに!」とか考えている僕は、多少の高揚感を感じている。なんだろう、この屈折した考えは。
世にギャンブラーは多いと思うが、彼らは勝ちの味を知りつつも、後悔という珍味も求めているのではあるまいか。嬉々として「スロットで10万すった」とかいう人は良くいる。「ああ、こうしとけば良かった」とつぶやく瞬間、なにか普段とは違った特殊な気持ちになる。おかしな脳内物質が分泌されている気がする。そしてそれは、どこか悦楽をもたらしている。
カカクコムの掲示板や2chでは、僕のようにデジカメの機種選択に後悔している人が沢山いる。こういった情報を一番求めているのは、「これからデジカメを買う人」ではない。その数倍もの、「デジカメをもう買ってしまった人」が押し寄せているのだ。わざわざ、後悔しにやってきているのである。