水に流して

明日からお盆休みなので、故郷である新潟県燕市に帰ります。東京に戻ってくるのは、15日の予定。
燕市と聞いて連想するのは、社会の教科書に載っていた洋食器の産地である事とか、もしかしたら「あれ?燕三条市じゃなかったっけ?」などという不届きな人もいるかも知れない。
確かに全国的には燕三条市で通っているし、現に合併の話も持ち上がって住民投票まで行われたのだが、大差で否決となってしまった。
その理由はただひとつ、両市の仲は致命的に悪い。
今は昔の話、田中角栄の影響力が強き頃、新幹線の駅が出来ることとなった。建設立地をかけて燕市三条市は壮絶な誘致合戦を繰り広げ、紛糾の末に両市の境界線をまたいで建築するという玉虫色の決着に落ち着いた。
が、ケンカはそこでは終わらない。
さらに、”燕三条駅”とするか、”三条燕駅”とするかで、またもや大人げないケンカが始まった。これはご存じの通り”燕三条駅”となったのだが、収まらない三条市側は、これまた両市をまたいで作られた高速道路のインターチェンジを”三条燕インター”とする権利を勝ち取った。まあ、痛み分けである。
かようにも、両市のライバル意識は強い。
ここから紹介するのは、燕市原理主義者である、ウチの親父の証言。それをふまえて読んで欲しい。
親父が言うには、「三条市民はケチ」。
ちょうど去年の今頃、三条市中之島の辺りで洪水が起こった事を覚えておられるだろうか。その復旧に親父も尽力したのだが、「いつもなら、あの辺の奴らと商売なんかしない。金が無いフリをして、すっきり支払いをしない」などと言う。「金を隠してるんだ、タンスにな。で、そのタンスが洪水で流されそうになったり流されたり・・・」と、ちょっと含み笑いをする。
親父の発言を裏付けるように、洪水のあと、三条信用金庫の預金高は一気に増えた。隠しタンス預金は危険と考えた住民が、銀行に預けるようにしたのである。洪水被害で預金高は減りそうなものだが、逆に増えたというのは驚異と言わざるを得ない。
対する三条市も、燕市の救援申し出をやんわりと断ったりして、未来永劫仲良しにはなれそうにないのだが、立地的にも両市の経済圏というのは重なっており、実際には二人三脚で発展しようとしている。
これまた両市をまたがる部分にSATYとかシネマコンプレックスなどの商業地帯ができたりして、その地域は”県央”と呼ばれるようになった。単純に、新潟県の真ん中だからだ。
こういう新しい言葉を編み出して、”燕三条”か”三条燕”か論争の再現をさけるところなど、なかなかにいい関係が出来つつあるのかもしれない。
追記:帰ってきたら、燕市にある伝説のラーメン店「杭州飯店」をご紹介したい。全国背脂ラーメンの元祖である。