オナッセイ大賞を受賞

昨晩は新宿ゴールデン街でしこたま飲んだくれ、隣に座ったオッサンのギターで「赤いスイートピー」を熱唱し、深夜帰宅でようやく昼過ぎに起きたのだが、見るとカウンターがやたらと回っている。いつもは死海の水面のごとく微動だにしないメールフォームもコリコリ動いたらしく、何通か頂いたメールで「オナッセイ大賞」が発表となった事を知った。
説明させて頂くと、テキストサイト界の巨頭であるNumeriのpatoさんが「オナッセイ大賞」という公募を開催された。主旨は「美しいオナニーエッセイ」、つまりは「オナッセイ」という事で、ロマンス溢れるオナニー話が良いのだなと勝手な解釈、bjorkなんかを聴きながら書いてたら心は暗く沈み込み、曲中に響くチャペルの鐘が除夜の鐘に聞えてくるというなかなかに得難い心理状況。で、どうにか書き上げて応募したというわけです。(→応募作品はこの記事のすぐ下に掲載
190程の応募作品から9作品を審査員の方々が選抜し、一般投票にて大賞作品の決定という事で、最終投票の9作品に残ったのも驚愕だったのですが、よもや大賞に選ばれるとは。こはいかに、である。いや、ほんとに。投票所はコチラ→「オナッセイ大賞
投票が締め切られ、トップ確定となった瞬間の感想としては、まさに「いいのか僕で」。ビル・ゲイツのパーティーにうっかり入り込んでしまった田中義剛、隅っこで笑顔を絶やさず、いるわけもない松本明子あたりを捜してしまう、そんな心境。
とはいえ、うれしいのもこれまた事実。やはり、うれしい。「チャンピオンです!」と松本明子に言われたい。「あなたにとって、オナッセイとは?」みたいな質問を受けたりして。
とにかく、patoさんはじめ審査員の方々、投票をして頂いた方々、応募された方々、すべてに感謝をお伝えしたい思いです。ありがとうございました。
大賞受賞のうれしさはかようにも格別、さらに僕がうれしかったというか感動を覚えたのは、投票時にコメントを下さった188人もの方々。家宝にさせて頂きます。勢い余って全てのコメントに返信をしたい意気込みです。書いて頂いたコメントをそのままコピペ、メールフォームから送って頂ければ、容赦のない返信メールを発射します。雑念を捨てて発射します。
さて、オナッセイ大賞に応募した理由のひとつとなったのですが、その主旨の中でpatoさんは「ただオナニーが気楽に語られる、そんな世界にしたいだけだった。」と語られてますが、なかなかに示唆に富んでいるなあと指でアゴを挟んで唸った。
オナニーというのは、基本的には秘め事である。とくに公共の場においては禁忌の域にあると言ってもいい。「オナニー」という一言を出しただけで一変する空気。飯島愛のAV出演くらいのタブー。それを人は「失言」という。
メディアでも世間でも、失言に対する風当たりは強い。一昔前までは失言で失脚する政治家は続出、そうなると人は下衆なもので、潮干狩りのように嬉々として人の失言を捜して掘り返す。
しかしながら、失言の中身は事実として存在するのを知っている。乞食はいるし、エイズは蔓延。オナニーは口に出すのも憚られ、ロリコンはもはや人にあらずの扱い。が、事実として存在する。ロリコンもオナニーも。
けして無くならないし、言葉狩りをして表に出さぬようにし、存在しないように扱っても、あるものはある。でも、人を傷つけたり不快にしたりするし、謹んで、出来れば言わぬようにして、忘れたふりをして。現代社会はコミュニケーションが大事だから。人脈こそ財産、人脈万歳。
そろいもそろってセーフ・セックス、セーフ・コミュニケーション。デオドラント化されていく社会。でも、それは”殺菌消毒”ではあるまいか。
どこか平面化して均質化する社会。アメリカから輸入されたプラスチックな社会。そこに唐突に咲く妖艶な花びら「赤いスイートピー」。そんなオナッセイ。一度、スイートピーを見つめてみるといい。淫猥で魅力的な花だ。