受話器の向こうの世界

三たび山本さんの話で恐縮だが、僕の隣に座っている山本さんは電話を取るのが早い。
学生の方々は分からないかもしれないが、会社にかかってくる電話というのは、2コール以内に取るのが常識となっている。
3〜4コール以上待たせた場合は、「お待たせいたしました」と一言添える習わしである。
ところが、山本さんはピッ…っという受話器の震えを感じた瞬間に、もう「お待たせいたしました」と対応している。待たせること、コンマ1秒以下である。
以前、僕に支給された携帯から自分で出ようと思って代表に発信したら、山本さんに先を越されてしまった。
受話器に手をかけていたにも関わらずである。
あまりのレスポンスの速さに疑問を投げかけてみたところ、案の定(と言おうか)、テレクラにはまっていたそうである。
さらに山本さんは「オレの全盛期はこんなものじゃなく、2秒後の未来が読めた」と断言していた。
コツを聞いてみると、受話器に手をかけて待っていてはダメなのだそうだ。
受話器は常に上げて耳に付けておき、もう片一方の手で電話のフック(?)を押さえて「切」にしておく。
で、ピッ…っと、空気が振動したその瞬間に、フックに置いた手を上げて、電話をゲットするのである。
山本さんのテレクラ通いは2年以上続いたらしいが、ある事件をきっかけに、まったく行かなくなったそうだ。
その日も、行きつけのいつもの部屋に陣取った山本さんは、受話器を耳にあてがいつつ、フックを押さえて着信を待っていた。
いつもなら、着信と同時に電話は山本さんにつながるのだが、その日に限っては、ピッ…っと同時にフックを上げても、「ツー」というばかりで、他の人に先を越されてしまう。
そんなことが何度か続く間に、隣の部屋から楽しそうな話し声が聞こえて来るのである。
「本来なら、オレが頂く電話だったのに!」と地団駄を踏み、心は千々に乱れて集中力が落ちる。
そして、また着信を他人に奪われるという、悪循環なテレクラ歴最悪の日であった。
そうこうしているうちに、隣の部屋のテンションは上がり、話し声が山本さんにも聞き取れるくらいになってきた。
片方の耳を受話器に、もう片方を壁に貼り付け、隣の部屋の声を聞いてみる。
すると、男の話し声に混じって、女のあえぎ声が聞こえてくるのである。
しばらく聞き耳を立てていると、あえぎ声のボリュームもあがり、ハッキリと聞き取ることができる。
最初はビデオかと思ったが、どう考えてもコレはホンモノである。連れ込んでいるのである。どういうわけか。
山本さんはゆっくりと受話器を置くと、隣の部屋を覗くべく、廊下に出た。
静かに隣のドアの前まで行き、ゆっくりとドアを開き、隙間に目を近づけた。
そこは、誰もいない空室だったのである。
「あれはテレクラの地縛霊だよ…」と、山本さんは声を震わせて呟いた。