大事な答え

僕が食堂に入ると、その日もおばあちゃんはTV前の特等席で、大岡越前を見ていた。
その周りでも車椅子の老人達が、まるで大岡越前を見るのが重大な義務であるかのように、ストイックな決意とともにTVに見入っていた。

おばあちゃんは足が不自由で、介護施設に入っている。
リハビリを続けているのだが、もはや車椅子無しで生活することは不可能であろう。
おばあちゃんはとてもいい部屋をあてがわれていて、枕元のボタンを押すと、居酒屋の店員みたいに係りの人がすっ飛んで来てくれて、あらあら、こうだと世話を焼いてくれる。
でもおばあちゃんは、やはり家のほうがいいらしい。
僕が帰省で会いに行くたびに、そう愚痴を漏らす。
おばあちゃんは、殿様である。実際、施設でのあだ名も”殿様”だ。
ウチは自営業を営んでいて、社長を僕の父親が努めている。
その下の従業員が、父親の弟3人。つまり、おばあちゃんの子供達だ。
彼らを従える形で、形式上とはいえ、会長に君臨していたのである。
その在位期間は、実に40年以上だ。
だから、その40年のあいだは、自分の指示通りに子供達が動く。
誰かが忙しくても、4人もいれば誰かが頼みを聞いてくれる。
その子供達が、1年おきに規則正しく一人ずつ、計8人男子をもうけた。
まとめると、実子4人とその嫁、孫が男子8人の頂点に君臨していたわけだ。
小学校の祖父母参観のときは、1年から6年まですべてに孫が在籍し、一人8分のスケジュールで参観をこなした。昭和初期から生きる女傑だと自負している。
だから、大岡越前は、常に特等席で見る。当たり前の行動だ。
二日と同じ服を着ない。当たり前の行動だ。
「あそこで寝てる年寄りは、もう動けねえ。ああはなりたくねぇ。もう死ぬしかねぇ」
などと、こっちがびっくりする事を言う。
そんな殿様だが、施設の人や他の老人達とは仲がいい。
殿様ぶりを面白がられてるようだ。だから、それなりに楽しそうに見える。

今年の正月も帰省して、おばあちゃんのところに行った。
社交室に行くと、TVの前の特等席で水戸黄門を見ていた。
その後ろ頭は、ウズラの卵みたいにコロンとしている。
去年より、ほんのちょっとだけ動かせるようになった足をバタつかせてみて、「もう少しで歩けるようになる」と笑った。
「そんだら、家に帰れるな」と、続けて言った。