左に避けるか、はたまた右か?

2月7日の日記を書いてからというもの、どうも市井で飛び交っている確率論に心奪われてしまう。
宇宙人が存在する確率とか、妊娠する確率とか、果ては交通事故に遭う確率とか、様々な場面で確率は跋扈し、書物の中で大手を振るって偉そうにしている。
そもそも宇宙人なんか、いるかいないか二つに一つなのだから、何も確率を用いる必要があるのか疑問を差し挟みたいところだが、どうやら日本には”ある、ない”で済ますことを良しとしない人々が多いらしい。
「二元論行き」の列車に乗ろうとする人々を、入り組んだ論理を発明してそっち側に引っ張り戻し、自分たちの仲間に吸収していく。
どれくらい入り組んでいるかと言えば、宇宙人がいる確率は以下と同じようになるらしい。
部屋同士がドアで繋がっている、長屋のような横長のアパートを想像してほしい。
それぞれの部屋には、次の部屋に行くドアと、外に出るドアが一つずつある。
どちらが次の部屋に続くドアかは分からない。
で、一回も外に出てしまわずに、20個部屋を通り続ける確率と、宇宙人が存在する確率は同じなのだそうだ。
悔しいことに、うっかり納得してしまい、「なるほど」と言ってしまいそうだ。
その実、よく分からない。分からないということが、かろうじて分かる感じである。
なんとなく、この理論を構築するために科学やら天文学の粋を結集してるんだろうな、と勝手に憶測してしまい、自分を強引に納得させているような気がする。
天気予報でも、「降水確率50%ってすげー微妙だけど、一応、気象庁の膨大なデータベースとか、名物予報士とかの頭脳を結集してはじき出したんだろうな、知らんが」という、憶測の上に説得力が成り立っているわけだ。
なんか、この辺に確率が偉そうな秘密が隠されていそうである。
確率って出すからには、緻密な計算の裏付けがあるに違いないと感じさせる訳だ。
そして僕は「二元論行き」の列車から引きずり降ろされるのだが、内心は「でも、宇宙人って・・・?」という疑念は捨てきれない。
人類の科学の頂がどこまで高いかは分からないが、ともかく人は月に降り立ったばかりな事は間違いない。
なのに、宇宙人が銀河系内に存在する確率はと言われても、煙に巻かれている感は拭えないのである。そこまで確率を用いる必要があるのかと。
是非、宇宙学者と心霊学者が集まって、”宇宙人の幽霊”がいる確率をはじき出してほしい。
単純に宇宙人がいる確率×幽霊がいる確率なのか。
それとも、このコラボレーション(使い方間違ってるんだろうな)によるあらたなファクターが、更なる確率計算を要求するのか。
はたまた、宇宙学者が「幽霊がいる確率は、0だ!」と頑強に主張して、数式の片方が0になった結果、0%になるのか。
怒るだろうな、幽霊学者。宇宙人の幽霊が憑依したとか、一芝居打つかもしれん。
ちなみに、僕は矢追純一UFOスペシャルで見たことあるぞ、宇宙人の幽霊。
あ、いるのか、じゃあ。