やる気と乗り気と周りの空気

浅草のグリルでオムライスを食ってきた。
実にうまかった。
そこはなにやらオムライスで評判の店らしく、ネットで調べたら軒並み高評価だった。
ネットを見ていて驚いたのだが、予想以上に”オムライス専門ページ”が多い。
その食べ歩き記などを読んでいると、なるほど鼻息が荒くなり、そのこだわりに感服、さらには「オレもこういう食べ歩き系のコーナーをサイトに作ったらどうだろうか。さすれば、いつになっても増えないアクセス数もアップする事だろうて」と野心すら抱く始末である。
そこで手をアゴにあてがって考え、僕がこだわりを持っているメニューを挙げるならば、「カツ丼」「プリン」である。
これは組み合わせも「主食」「デザート」とバランスもいいし、なかなかいけるぞ、意気や良し。
しかし、その「カツ丼」に対する僕のこだわりって、どれくらいのものだろうか。
そもそも、僕に「カツ丼」を語る資格があるのか。
そして「プリン」は?プリンアラモードの、「アラモード」って意味知らんぞ、振り返ってみれば。
ネットを調べれば、きっと「カツ丼は人生です」とか、「プリンの中には宇宙があります」等という豪の者がいるに違いなく、そんな中にあっては、僕などポン助である。
所詮、僕のカツ丼やプリンに対する思いなど、独りよがりのちんちくりんなのでは無かろうか。
という経緯で僕はショボンとし、カツ丼プリンコーナーの開設を断念するに至ったのだが、こんなプロセスを踏んだのって初めてじゃない気がしてきた。
オトナになって分別をつけるようになって、周りの様子を伺って、よく言われるけど、自分で限界を決めて生きてきている訳である。
「やろう」「できる」「正しいことだ」と思いこんだその直後、(でもやっぱり)「出来ないかも」→「出来ねーだろうなー」→「やめた」となることがほとんどだ。
そして、「空気を読んで」、口に出すこともやめる。そうやって、最大公約数からはずれないように、周りと調和して生きてきた。
そう言えば、思いこみでも何でも、本当に「好きだ」とか「嫌いだ」と言ったのは、いつが最後だったのだろう。
周りを伺う事をせず、自分の思いを、強烈な勢いを持ってたたきつけるのをいつ頃やめてしまったのだろう。
今まで生きてきて、何よりも「良い」と思うこと、極めつきの「悪い」こと。
それをいつになったら、僕は言うのだろうか。