着地が大きくズレた例

前回の日記で「続く」と書いたのはいいんだけど、一回流れを断ち切ってしまうと、また再始動するのにすごくエネルギーを必要とする。
こんなのをよく「車は動きだしが一番大変」とか、ちょっとした比喩を用いて語られたりする。
この、ちょっとした比喩って、結構定番的なものがあって、例えば「ボディブローのように効いてくる」とか。
これって最初に誰が使い出したのか分からないんだけど、誰しも一年に一回くらいは耳にするフレーズだ。
数多の「気の利いた」言い方が”死語”となっていく中、これは希有な例と言えよう。
ともかく、その「動き出しが一番大変」ってヤツなんだけど、僕の場合、文章にも言えることなのである。
こんな日記でも、一応それなりに考えて推敲して書いてる訳なんだけど、なにに一番頭を悩ますかといえば書き出しである。
結論というか、テーマに向かって一直線にすすむ大通り、その入口の門。
そこから書き始めればいいんだろうけど、僕の好きな文書ってのは、やっぱり裏門とか、地中からとか、とかく素直じゃない入り込みかたをして、紆余曲折、路地裏に迷い込み、いきなり視界が開けたと思ったらそこが目的地だった、みたいな文章が好きなのである。
もしくは、上空3000メートルくらいから、いきなり目的地に直接着地するような書き出し。
「我が輩は猫である。名前はまだ無い」
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
とか、そんな感じのもの。あまりに名作過ぎて、ここに挙げるのも気恥ずかしさがあるが。
いや、気恥ずかしいと言えども、僕が漱石を例にとったっていいではないか。だれに突っ込まれるでも無し。
でも、そんなのに突っ込まれる人ってのがいて、TVの話なんだけど、光浦靖子がキャメロンディアスについて語ったとき、同席していた梨花が「オメーがキャメロンディアスとかに触れるな!」とか激高していた。
「いいじゃねえか、私がキャメロンディアスを語ったって!」と光浦靖子も激高し返していたが、その通りである。
なんかその、「いいじゃねえか」で一点突破する姿勢に、共感を覚えたのだ。
というのも、最近HPの更新をさぼっているウチに、「なんで日記やら旅行記なんて書いてんだろう?」と自問していたからだ。
目的は?理由は?等と、つまらん理屈に頭を悩ませていたのだが、「いいじゃねえか、無意味に日記書いたって」と、なにか「動きだし」への勢いを与えてもらった気分である。光浦靖子に。
ということで、普通にHP閉鎖を検討していたけど、また書き続ける事にしたのである。
理由はまだ無い。