一年の計の元旦の迷い道

買ったソファ

アントニオ猪木は数多の名言を残しているが、そのなかに、「ピンチは一つのものではなく、いろんな厄介ごとが「ダマ」になってやって来る。だから、その「ダマ」をひとつずつ解きほぐしてやっつけていけばいい!」というのがある。そしてこれを実行して闘い抜いたところに猪木の偉大さがあり、アントニオたる所以でもあるわけだが、一般的な人間としては、そんな簡単に「ダマ」を解きほぐせるかと言えばそうでもない。
そもそも「ダマ」の構造を理解しない事には解きほぐしようがないわけで、それが難しいとなった時に人間がとる行動は、分析して構造をシンプルにするのではなく、パッと見を単純にしようとするというものだ。
パッと見を単純にしても、「こんな感じだろう」と適当に取り繕って納得してるだけで、まったく解決とならない。
思い返してみるに、例えば、いま僕の目下の問題点である“薄給”という事実。
これに対して僕は“怠惰”という所に原因を求めているが、そんな単純なものではない気がする。
それは仕事についての考察も必要であろうし、ひいては人生についての熟慮が必要となるかもしれない。
けして“怠惰”などという一見座りがいいフレーズを当てはめて納得できるハズもない。
そう言えば、相談事などの回答として「それも人生なのだよ」というのをよく聞くが、これは「まったく何も答えておりません」という事だ。まさに“人生”というこれ以上ない単位の“ダマ”をだして来ているわけで、それを解きほぐそうというのが相談の主旨であるはずなのに。
まことにもって物事というのは奇々怪々だなぁと、上野丸井にある無印良品の家具売り場で“体にフィットするソファ”なるビーズクッション状のものに体を沈めつつ考えていた。
「これは腰にいいなあ。これならば、悩める腰痛から僕を救ってくれるかもしれない」
なぜに腰が痛いのか。
その原因の全てをデスクチェアに求め、チェアを買い換えたのがつい最近。
本来ならば、この”腰が痛い”という状況の原因として、さまざまな要素が挙げられるはずなんだけど、こないだは”デスクチェアが悪い”の一点集中。
まさにこれが諸悪の根源。暴れるゾウさんの足の裏に刺さったトゲ。トゲさえ抜けば、ゾウさんも「ぱおーん」とか言って愛くるしい鼻を僕の頬にすりつけてくるだろうて。
などと思っていたのである。が、案の定、腰は痛いまま。あー痛い。
で、最近、僕の中で腰痛の原因としての責を一身に背負っているのが、「座椅子」。もう、エビジョンイル級に背負っちゃっているのである。この座椅子を交換すれば、腰痛も天使の羽が生えたように飛んでいくのではあるまいか。エビ様も辞任したらしいし。
まさに、人間というのは、自分の信じたい事を信じるように出来ているのだと思う。
で、買いましたよ。16,500円。
持って帰って来て、腰を沈めて二時間ほどテレビみたり本読んだりしたけど、ちっとも腰によくないや。
あー、でも、座椅子よりはいいかも。少なくとも、一歩前進。千里の道も一歩から。
って考えるとさ、デスクチェアを交換し、座椅子からビーズクッションにして、一応は腰痛というダマをちょっとずつ解きほぐしているではないか。つゆ知らないところで。
ダマってさ、そんなにでかくないかと思ってたけど、実はすごくデカイよ。一気に全部見ようと思っても見れない。だから、一個ずつ、ちくちく解決。
そんな結論にとりあえずまとめたんだけど、それって喜ぶべき事なのか悲しむべき事なのが、よく理解できない。いよいよ複雑である。