僕は滑舌が良くない

今日、事務の川崎さんと話しているなかで「そんなバカな!」と言ったら、「あはは〜、”そんなバナナ!”って!」と笑われた。
言ってない。断じて言ってないよ。バナナ。そう聞こえたとしたら、あなたの耳がバナナなんだよ。
その場は躍起になって否定したが、お察しの通り、この問題は根が深い。
なにが問題って、「そんなバナナ!」を面白いというセンスの人間だと思われた事である。どうだろう、とても深刻ではなかろうか。
まあ確かに、日常会話の中に”敢えて”というスパイスが存在する事は確かだ。
例えば、いま、”敢えて”「イタメシ食いに行こうよ」と言ってみる。これは、”敢えて”いることを認識されてるから許されることだ。
逆に言うと、「この人、素でイタメシとか言ってる」と思われたらどうだ。ちっとも敢えたことが伝わらなかったらどうだ。足下がふるえるのではないか。そんなバナナ!と言いたくなるのではないか。
さらに続いた会話の中で、必死のフォローを企てた僕は、”敢えて”「チョベリグですね」と言った。
鼻のため息のみで流された。
伝わらない。僕の想い、ちっとも伝わらないよ。
いま反省してみたが、確かに「チョベリグ」って、ギャグとしてまだ発酵していない。もう少しすれば発酵していい味が出てくるかも。「ナウなヤングにバカ受け」って言わなくて良かった。
僕は今日をもって、”敢える”のをやめます。