フマキラーはいかが?

前の日記でも僕がボケッとしがちである事に触れたが、どうも最近、それに輪をかけている。二重三重に。
症状としては、無意味にものを見つめる。ぼさ〜っと見つめてしまう。
いまも積まれている本を見つめて虚ろ状態になっていたのだが、どうやら「の」という文字に吸い込まれていたらしい。
本は、「日曜日の夕刊(重松清)」「オタクの迷い道(岡田斗司夫)」「オーケンののほほん絵日記(大槻ケンヂ)」「一瞬の夏(沢木耕太郎)」だったのだが、そう、「の」が多いのである。そして、「の」に吸い込まれる。
「の」はどうだろう。じっと見つめると、文字という機能から離れて、単純な記号に近くなってくる。「の」って何だろう?などと、初めて「の」を目にした人間みたいになってしまう。いよいよ重症なのかもしれない。
こういうの初めてではなく、大学2年くらいの時にも同じ症状になった。
覚えているのは、フマキラー殺虫剤の缶を小一時間見つめていた事だ。「フマ」の部分に吸い込まれてしまったのだ。
この「フマ」の吸引力はどうだろう?そもそも「フマ」というのは、現代語において意味を持っていない。
続く「キラー」は、まあ、「殺す」のだろう。殺虫剤だから当然だ。じゃあ、「フマ」を殺すのか。はたまた。「フマ」によって殺されるのか。
といった与太話にもならぬ事を、フマキラーと見つめ合いながら過ごしていたのだが、「フマ・・・か・・」と、つぶやいた重症患者は、いつになく積極的な動きをみせた。
「フマってなにか聞いてみたらどうだろう?」と思い立ったのである。
さっそく電話帳を調べ、キンチョーに電話してみたところ「それは、フマキラー製薬さんの商品です」と言われ、「しまった!」と後ろにのけぞった。
殺虫剤といえば「キンチョーの夏」だと安易に考えていたが、そうだ、キンチョーはキンチョールじゃないか。愕然とした僕だったが、ふとした疑問が湧いてくるのに気づく。
キンチョールの・・・”ル”ってなんですか?」
係のお姉さんは「はぁ?」と小声で言ったが、僕の執拗な問いかけに対して、「それは、液体っぽさを出してるんだと思います。液体を、しゅっと一吹き、キンチョール」などと言う。
なぜ「ル」が液体っぽいのか、最後のキャッチフレーズじみた”液体を〜”からのくだりもはなはだ意味不明だ。
だが、そんな事はどうでもいい。キンチョーが、「ル」に液体という想いを託していた事が重要なのだ。今後、僕は「ル」見るたびに、キンチョーの秘めたる気持ちに想いをはせることであろう。
図に乗った僕は、「同じ殺虫仲間として、フマキラー製薬さんの電話番号を教えて下さい」と依頼したところ、非常に快く教えてくれた。
フマキラーに投げられた厄介者は、さっそく「フマって何ですか?」と疑問をぶつけてみた。
こちらは、まってましたとばかりに明確なご回答。
「フは、フライ(蠅)のフです。マは、モスキート(蚊)のマです」
納得である。まったくもって納得だ。モスキートなら、「モ」だろう、「フモキラー」でしかるべきだろう、なんてちっとも思わない。
「フマ」に蠅蚊の意味があった事が分かればいいのだ。
こんどから、「モ」をみるたびに心中で「マ」に変換してやろう。すると、「モモ」が「ママ」になってしまう。逆に「ママレモン」が「モモレモン」に。うまそうではないか。
お礼を述べ、大満足で受話器をおいた僕は、一仕事終えた達成感をかみしめ、自分が空腹である事を思い出した。
昼食を作ろうと台所に行き、カップ焼きそばを手にとってまた引き込まれる。
ペヤング・・・の”ぺ”って何だろう?」
※ キンチョールは、「キンチョー」と「オイル」をくっつけた造語であるそうです。