そんなに高い鼻は無い

前回と前々回の日記に多くのトラックバックを頂きまして、ありがとうございます。
思いもしなかった反響で、うれしいやら恥ずかしいやらです。
感想やお褒めのメールを送って頂いた方々、重ねてお礼を申し上げます。
えー本題ってわけではないんだが、正直に告白すると、ちょっと調子にのっている。鼻が高くなってしまっている事は否めない。
なんかカッコワルイのだが、あんまり注目される事も褒められる事もない人生を送ってきたので、しばしの鼻高はお許し願いたい思いである。
人間が褒められるというのは、人生を左右するくらい重要な体験となったりする。
絵を先生に褒められた事を糧にして、かたくなに筆を折らない画家の卵がどれだけいる事か。
教育において、「褒める」というのは重要なテクニックであることは間違いない。
僕は小学校のブラスバンドでシンバルを担当していたんだけど、これがまた、やたらめったら褒められた。
いま思えば、シンバルってクラスでもっとも愚図が担当する楽器のように思う。
だから、先生は褒める。愚図に愚図って言っても仕方ないから。僕は調子に乗る。鼻も高々だ。
その大きな円盤状のシンバルを両脇に抱え、背筋を伸ばし、耳を澄ませ、指揮の先生を凝視する。
僕は僕なりに、最適のタイミングをはかって”ジャ〜ン!”と鳴らすわけだ。シンバルって曲の一番盛り上がるところで鳴るから、結構な快感なのである。
そのうち、単純に挟むより、ちょっと上下にずらす感じで”ジャリジャ〜ン!”とした方がいいなと気づいたり、もっと褒められようと努力し、そして褒められる。小学生にとっては、幸福の連鎖だ。
そして迎えた本番。演奏発表会。響く金管楽器。リズムを刻む中太鼓。僕は緊張しつつも、絶対の自信をもってシンバルを”ジャ〜ン!”とするタイミングを待っていた。
盛り上がる旋律。出番は近づく。指揮者が合図を出すと、僕は渾身の力でシンバルを鳴らした。
その瞬間、なぜか目の前に散る火花。飛ぶ意識。
シンバルで鼻を挟んだのである。
鼻を高くしているとロクな事がない、という為になるお話。