まぜるな危険

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同僚の鈴本さんの顔色がやたらと悪いので「どうしたんですか?」と聞いてみたら、「いや、おなかの調子が悪くて・・・」と、コンビニで買った新しいパンツを持ってトイレに行った。まあ、パンツを代えるというわけだが、なぜ代えるのか、またはいまの状況は、などと、広がる想像を抑える事に苦労した。
人間の特性だが、言語化出来ていない事を想像するのは苦手であるらしい。今回の僕も「ウンコ」とか「下痢便」とか、そういう単語をもって想像しているわけで、しかるに気分が悪くなる。
病院の待合室で原田宗典のエッセイを見つけて読んでいたら、彼は「ウンコ」の事を「ウンチョス」と言い換えていた。これが言葉の消毒である。
「鈴本さんがウンチョスを漏らした」。どうだろう。ウンチョスを漏らす鈴本さんから、コクのある香りすら漂って来まいか。また、最近は「できちゃった婚」のことを「おめでた婚」と言うらしい。しかし、これは「詭弁」の類だと思う。
その鈴本さんだが、休日に同僚である松本さん(男)と西さん(女)が、夕暮れの新宿を連れだって歩くのを見たらしい。飲み会の席で「付き合ってるの?」とか「何回くらい遊んだの?」とか、はては「松本さんのマンションに行った事ある?」とか、まったく空気を読まずに質問責めにしていたが、これはつまるところ、「お前ら、やったの?」という言葉を、鈴本さんなりに消毒しているわけだ。でも、消毒の技術が原田宗典の「ウンチョス」と比べるとまさに雲泥の差。やっぱり鈴本さんは「ビチビチウンコ」を漏らしていればいいのである。