官僚的な対応

ネットを見ていたら「今では考えられない昔の常識」というのを見つけた。そこに「真夏の部活中、水を飲んではいけない」とあり、「信じられないですね」なんていう反応。そうか、今の部活は、水を飲んでいいのか。確かに、僕が高校でラグビーをやっていた頃は絶対に水を飲めなくて、ほんとうに日々誰か倒れたものだ。
考えれば、水分をとるというのはまったくもって当然の事で、それを禁ずるところにいわゆる「根性論」があったり、先生の権威が巣くう地平となったりしていたのだが、なるほど、現代では合理性の前に修正されたわけだ。世の中変わっていくものである。
こういう「根性論」というか「精神論」的なものって、どうやら現代では疎んじられてきているようだ。根性論が好きなプロ野球衰退の一因だし、先のJR西日本脱線事故においても、「日勤教育」というキーワードで批判されていた。やはりそこには精神論的なものを拒絶する文脈があったと思う。
事故が起きてしまい、日勤教育が声高に批判されたとき、僕は昔見たJR西日本のドキュメント番組を思い出していた。そこでは社員を講堂に集め、号令と共に起立・礼を繰り返していた。一人でも遅れたりタイミングがずれたりすると、やり直し。そんな事を延々と繰り返していたのである。
教官はインタビューの中で「これが出来ない事には、列車の安全運行は実現出来ないのです」と言っていた。
今となっては皮肉な話になってしまうが、あらためて考えてみたら、こういう「日勤教育」的な指導を、単純に批判できないような気がしている。
よく言われる事だが組織には二種類あって、官僚的なピラミッド組織がひとつ。自律的人材を集めた、水平でフラットな組織がもうひとつ。軍隊などは、まさしく官僚的ピラミッド組織が採用されている。最初にこの組織を構築して成功したのも、プロイセンの軍隊だったと思う。
軍隊では、自律的な行動は許されない。阪神大震災の時、市民の必死なバケツリレーの横で、命令が無いからという理由で直立不動、見ているだけの自衛隊が批判されたが、やはり軍隊というものはそういうものなのだ。ピラミッドの頂点に全ての情報が集まり、底辺への命令がなされる。個々が自律的に動いてしまったら、軍隊的組織は機能しない。
JRは当然というか、ピラミッド型組織を採用している。つまり、自律的人材を認めないという事。極端な話、運転士は「考えるな」ということだ。確かに、「ちょっと気分がいいから、今日はスピードアップ」とか、「景色がいいから、ここはゆっくり行こう」などという列車には乗りたくない。
事故車両に同乗じていた運転士ふたりが、人命救助に協力せず、職場に向かったとして批判された。非常に難しい判断だと思うが、組織論的に言えば、職務に向かうのは正しいと言える。ダイヤ通りの安全運行の為には。これまた皮肉な話だが。
ただ、世論とマスコミは、こういう行動を許さない。そこにはやはり、精神論的なもの、官僚的組織に対する嫌悪感があり、全てにおいて「自律的人間」を求める社会の趨勢がある。
「だからどうしろ」というのは、まったく僕には言えなくて分からなくて、結論が曖昧な文章って欠陥なのかも知れないけど、この事故で考えていた事を書いてみました。