布団の中は

我らが台東区も寒くなってきたので、昨日から羽毛布団を出した。
布団圧縮袋でぺたんこにしていたのが、出すと同時にじゃじゃじゃじゃーんとばかりに膨らむ様は、どこかウキウキしているようでもあり、ご主人を待ちかねてはしゃぐ飼い犬を見ているようでもあり、なんだか顔がほころんでしまう。
そのフカフカぶりにご満悦で寝入ったところ、案の定昼過ぎまで寝てしまい、さらに昼寝もするというすさまじさ。羽毛は子宮か。よくコタツを巻き貝のようにくっつけて歩きたいという人がいるが、僕は羽毛布団にくるまれて生活したい。
と夢想したが、よくよく考えてみると、ある。ダウンジャケットがそれだ。これ、羽毛布団にくるまれてるみたいなもんだ。世の中は便利なものである。夢想かと思ったら、あるではないか。
さっそく押し入れをゴソゴソと捜してみたが、どうやら実家に置いてきてしまっているらしい。さらに言うと、ダウンジャケットを買ったのって中学生の時だ。もう10年以上前の話ではないか。
当時はワークスタイルとかアウトドアスタイルが流行っていて、CARHARTTのペインターをはいたり、L.L.Beanのフリースを個人輸入で買ったりしていた。で、確かウールリッチのダウンジャケットを買ってあるはずなのだが、そういやここ10年見ていない。実家でタンスをまさぐった時にも見かけなかった。僕に憶えが無いので、きっと母親が見切りをつけて捨ててしまったのだ。
こういう「捨てられた」というか「始末してもらった」ものっていっぱいあるんだろうと思う。僕が忘れているだけで。
たまに見る古い写真のバックに写っているぬいぐるみだったり、エアガンだったり、またがっている自転車だったり。毎日顔を合わせていても、いつしか目にしなくなり、忘れ、「始末してもらう」。
ちょっと思い入れがあるものって、始末してもらわないと、一歩も前に進めなかったりする。ところが大いに思い入れのあるものだと、今ではまったく無意味になってしまっていても忘れられず、捨てられない、始末もしてくれない。これって、たいがい実は「忘れたい」ものだったりするから厄介だ。
まあ、その最たるものが初恋だったりする。上を向いて未来を夢想するふりをして、実は布団にもぐって過去を見てばかりいる。どっちも問題があり、どっちの先にも解決は無い。グルグル考えていると寝入ってしまうのは何故だろう。