出会い頭の

ちょっとヘンな文章を書く機会があって、思った事。
何をいまさら僕みたいなモンがって話ですけど、男女の出会いを描くのって難しい。古今の戯作者は、そりゃあまあ悩んだと様々な文献に出ています。
「クラスが一緒」とか「たまたま」なんてのは、やっぱり劇的要素が少ないわけで、ドラマなんか見てると北川悦吏子なんていちいち工夫しています。(たいがい出会いから始まる脚本ばっか書いてるわけですが)
ありがちなのは「古本屋で一冊しかない写真集を同時に手に取る」なんての。ちょっとロマンティック過ぎる気がします。
現代だったら、むしろ「同じガンプラを手に取った」とか「ペットショップで同じチワワを奪い合った」とか、漫画喫茶でこっちが読みたい漫画なのに、それをテーブルに積み上げて昼寝してたとか、地下鉄の同じ改札を両方から入ろうとかち合ってケンカした、とかでしょうか。論点がずれてきたが、なぜだか僕はコウフンしてきた。
あの改札って、出口と入り口の両側に向けてOKの「→」が出てて、一瞬早く向かい側の人に切符入れられると、こっちが×になるのな。あれって屈辱だよね。エレベーターの中にいる人と目があったのに、扉閉められた的な。なんだか腹が立つ。
根本的に他人って腹が立つ存在なんだけど、いちいち喧嘩したりしない。でも、思い切って喧嘩してみたらどうだろう。喧嘩だろうと愛だろうと、共通するのは「強い思いをぶつける」という事。思いがぶつかり合うのが出会いなのではなかろうか。
要は、劇的出会いを作りたければ「強い思いをぶつける」状況を考えればいいわけだ。それが負の感情であろうとも。
「出会い」が無いと嘆く諸氏、それはあなたが「強い思い」を叩きつけていないからだ。一回してみるといい。みんながこっちを振り向いてくれる。
ただ、法には触れてくれるな。