モッズヘア

同じ部署で働いている土田さん(男・37歳)が離婚の危機にある。
奥さんの高級リンスを自分の陰毛に使用したのが原因らしい。
ものすごくサラサラになったそうだ。
リンスを陰毛に使用するのは、誰しも経験があるのではないだろうか。
僕などトリートメントをした事すらあるし、シャンプーを陰毛で泡立ててから使う女性を知っている。
ともかく、それ以来土田夫妻の会話はなく、必要な事は携帯メールで送られてくる。
晩ご飯は作ってもらえるらしいが、カツ丼のカツが切れて無かったり、「ソースはお好きな方を使って」という置き手紙に、ブルドックソースとキッチンハイターが並んで置かれていたり。
土田さんも意地をはって毎日陰毛リンスに励んでいるとのことで、「陰毛で天使の輪っか」を目指すそうだ。

俺ってそういうヒトだから

たけしのTVタックルテレビ朝日)を、毎週楽しみにしている。
TV番組を楽しみにしているって、最近ではなんだかアホっぽく写るらしい。
よく「おれ、テレビとか全然見ないしなぁ」と言う人がいる。
実際に見てないのかもしれないが、どこか「TVを見ない事でインテリ系知性をもつ自分アピール」という意図を読み取ってしまうのは邪推だろうか。
確かに知性豊かに思われるのは気分がいい。僕だってそう思われたい。
しかしそれ以上に、「知性豊かに見られたい」と願っている事を悟られるのが怖い。悟られたが最後、いままでの演出は全くの逆効果、軽蔑の刃となって自分に降り注ぐ。だから、おいそれと「TVってあんまり見ないから」とか、したり顔で言えない。
と書いて、僕自身が「頭良さそう」と思われたい事をばらしてしまった。さらに言うと、「TVって見ない」って言っているのは、何を隠そう僕です。ええ。そしてウソです。ロンドンハーツとかかなり楽しみにしてます。こないだのスペシャルで、騙されたペナルティのワッキーが落とし穴に落ちたとき、20分くらいは笑い続けました。
ああ、落とし穴はおもしろいなぁ。

さて、「頭がいいです」って顔をしたパネリストが集まるTVタックル政治特集ですが、郵政民営化の話題の時に片山虎之助参議院議員が「総理のビヘイビア(行動・態度)ですとね、解散だってあり得る」と語り出した。
司会である阿川佐和子のイジワルセンサーは、その不用意な発言を見逃さない。
「じゃあ、虎ちゃんは今どんなビヘイビアなの?」
片山議員は顔を引きつらせながら笑顔で流したが、これは恥ずかしい。一番あげつらわれる、無意味な外来語の使用。この地雷を踏んでしまったわけだ。
それも、ビヘイビアて。もっとあるだろう、かっこいい外来語が。よりによってビヘイビア。あまつさえビヘイビア。いやぁ、ビヘイビアと来たか。参った。
僕はこの瞬間を忘れない。もしビヘイビアが流行ったら、発祥はここである。
「お前のビヘイビアってさー」って感じで高校生が使ったり。
「あんたのビヘイビアって、いつもそうよ!」と夫婦喧嘩で涙を流した妻が。
ああ、片山虎之助はおもしろいなぁ。

追記:
最近よく耳にして、なんだかいけ好かない外来語に「レーゾン・デートル」というのがある。フランス語で「存在理由・存在価値」といった意味だ。
「官僚のレーゾン・デートルは・・・」とか、「僕のレーゾン・デートルとして・・」という風に、どちらかというと自分温度が高い人が使いがちだ。ご注意頂きたい。自分語りは地雷が多い。

黄金郷は何処?

家の近くで、入谷朝顔市という祭が行われている。

入谷鬼子母神の前、言問通りを入谷交差点から鶯谷駅までの間に、100以上もの朝顔を売る店が並ぶ。二万鉢以上の朝顔が売れるという。
会社からの帰り道なので、人混みの中を色々見て回り、例年通りベビーカステラを購入し高カロリーを摂取して喜んだ。

去年の日記を見ると、やはりベビーカステラを買ってご満悦な事が伺える。内容は祭の思い出について書いていて、けして完成度も高くないし、書き上げるまでの時間も少なかったのだが、なんだかとてもお気に入りの日記だ。(未来は握りこぶしの中に

お気に入り、というか、好きっていう感情について考えた事ってあんまり無い。生きていれば、好いたり嫌ったりの連続だが、さっぱり考えた事もなく、それが正しい気もするので考えないようにしている。

「好き」とか「嫌い」という感情は、個人のパーソナリティを考えた場合、その「強さ・度合い」がかなり個性を左右する。どれだけ強烈に「好き」や「嫌い」を表明しているか。魅力的な人って、色んなものを好いたり嫌ったりで、本当に忙しい。

ハリウッドに限らず、日本のドラマでも、主人公は強烈に何かを好きだったり嫌いだったりする。人物設定の基本である。
「好き」は行動や人生に一本の道を通すし、「嫌い」も同じだ。野球が好きな人物、不正を嫌う人物。どんなに複雑な性格でも、ここだけは単純化する。そうする事によって、目的もはっきりする。人物がぼやけていたり魅力が無いのは、この辺を決め切れていない場合が多い。

ここまで書いてきて、僕の悪いクセである安直な結論をだすならば、「自分の好きを意識する事で、人生の目的を明確化できる」、なんて事だが、どこかしっくりこない話だ。

人生の目的を明確化なんて言葉を使ったが、「好き」と絡めて考えるならば、良く耳にするこんなフレーズになる。
「あなたにもほんとうに好きな事、やりたい事があるはずでしょう?」
結論から言えば、そんなものは無い。少なくとも、そう問いかけるあなたが満足する答は無い。
例えば、のび太が答えるとするならば、「昼寝」や「あやとり」とかになるだろう。
聞き手は眉をひそめる。そして続ける。「そんなのじゃなくて、他にもあるでしょう?」
「そんなの」は好きな事として認めない。要は、職業(金)にならない事は認めないのである。昼寝では金を稼げない。
「じゃあ、野球かなぁ」とのび太がいうと、それも認めない。のび太が野球選手になれるワケがが無い。そんなのは日本国民全てが熟知している。
「じゃあ、植物が好きだから、花屋とかいいなぁ」と言ったところで、ようやく聞き手は満足する。実現の可能性があるから。

結局、ちまたで言われる「ほんとうに好きな事」って欺瞞的な発想だ。かなりの制限下において「好き」を選択せねばならないから。
のび太だって成長して大人になれば、自分の可能性を自分で制限し、その中で好きな事を捜す。そして、見つからない。
自分に出来そうで、かつ金になって、それでいてほんとうに好きな事。

そんな都合のいいものは無い。

可能性が無くても、好きに邁進出来る人。そんな物わかりが悪い生き方は、確かにとても魅力的だ。うっかり目指してしまいそう。結果、成功する人もたま〜にいて、とても運が良くてムダが無くて、ハリウッド映画のサクセスストーリーのような人生。
そんな話は滅多にないから映画になって、面白がって観に行くんだけど。

生き方の哲学

「あの人だったら、こういう時はどうするだろう?」なんて思う事がある。
ある状況下で、自分の判断に自信が持てないときに頭をよぎる考えだ。つまり、思考停止に近い状態。
僕は怒るのを極めて苦手としているので、「怒るべきか否か」という状況下に置かれたとき、こういう思考停止に陥ってしまう。
最近、浅草のラーメンチェーン店でラーメンと餃子を頼んだのだが、ラーメンは来たのだが餃子が来ない。
どうやら隣のオッサンに出していた餃子が本来は僕の餃子であったらしく、「間違えました」の一言で、僕のところに餃子を移してきた。
いやいやいや、「間違えました」じゃないだろう。その餃子は5分くらい前に持ってこられて冷めている上、オッサンがむせながら食ってる豚骨ラーメン直下にあったわけだ。そんな餃子を唯々諾々と食うかと。笑顔で喰らうかと。
さすがに温厚な僕でも「すみませんが、ちょっと、冷めてるし・・・」と、控えめな抗議をしたところ、「新しいのをお持ちします」と持っていったので、ひとまずは気を取り直した。
で、その30秒後、新たな餃子が出てきたわけだが、どう見ても”レンジでチン”しただけの同じ餃子。形が個性的だったため間違いない。指でつついたら、確かにアツアツはなっていた。チンだから当然だけども。
まさにオラオラ系の人なら「店長を呼べ!オラァ!」といったところだ。そうでなくても、怒る人が大多数だろう。
が、怒れない。僕は怒れないのである。情けないけど仕方がない。
そして思った。「ああ、中島義道ならどうするだろう?」
中島義道とは、僕が大好きで全ての著作を読んでいる”闘う哲学者”である。彼ならばチン餃子を認めた瞬間、一瞬のうちに次のような思考をするであろう。
「チン餃子に関して、こちらに落ち度は皆無。では、この店員の行動及び責任を追及するのに邁進しよう。ああ武者震いがしてくる。店員はどういう弁明をするだろうか。平謝りだろうが、そんなものは認めない。”何故”を徹底追求しよう。そして一言漏らさず聞いてから、完璧なまでに反論しよう。店員は泣くだろうか。想像するだに興奮してきた。さあ、いくぞ!」
中島義道はイヤなモノから逃げない。それどころか、心をときめかしてイヤを正視する。その上、哲学者として言論をもって徹底追求するわけだ。
それに対して、なんで僕は怒れないんだろう。考えてみるに、「いい人に見られたい」というのが根底にある気がしている。波風を立てねばいい人を維持出来るし、なにより人に嫌われない。
この思考をも中島義道は喝破していて、「人に嫌われるというのは、全く自然な事。なぜなら、私は妻と息子に激しく嫌われている」と言い、「人間は自分が嫌いな人にも嫌われたくないものです」と言う。
そう、僕は人から嫌われる事に対して、ものすごい恐怖を抱いているのだ。これは否定出来ない。今しか会わないであろうラーメン屋の店員にも嫌われたくない。”嫌われた”という事実が、どこか僕の人格的欠損を示すような気がするから。自己否定に繋がるから。
そうこう考えているうちに店員は去ってしまい、チン餃子が目の前に残された。今思い出すと意味不明なのだが、抗議の意を込めて手を付けず、紙ナプキンを餃子に被して席を立った。
それを認めた店員は「すいません、すいません」と平謝りで、餃子の料金は請求しなかったが、なんだろ、店員に嫌われなかった事で安心している僕がいる。とても不毛な精神状態だと思うが、気分が良いのである。
こうやってひとときの安静を得、真実の感情をぶつけないのは、哲学に対する反逆だ。人生が何かを求めるものだとすれば、生の感情を出さない、ぶつけないというのは、何も得られないと言う事だ。立ち向かう事から逃げているわけだから。それは、根本的な欺瞞である。欺瞞は哲学の敵だ。
中島義道は、立ち食いそば屋でも欺瞞を許さない。
”急いでいるので「すぐできる?」と聞いてソバを頼んだのだが、持ってきた時に「ごゆっくりどうぞ」と言いやがった!”
一気にONとなるスイッチ。そして、店員を徹底的に追求しだす。「ごゆっくりとはなんだ!形式的な、欺瞞的な一言だ!」
急いでいるのをすっかり忘れる中島義道。哲学者は今日も闘う。

女心までのディスタンス

先週に女友達とタイ料理を食いに行き、さらに飲んだりして遊んだ。別れ際に「今日のウマクビ君は8カチンだったよ」と言われた。まあ、カチンというのは、彼女が「カチン」とした数である。
思い返して考えてみるに、僕の中では3カチンしかされてないハズだったのだが、この差である5カチン分が、相手の心までの距離なのかと思ったり。
僕の欠点は、相変わらず空気が読めないところなのである。

コンビニ実験君

僕の勤め先の周りはコンビニ天国というか、ともかくコンビニがたくさんある。サンクスとローソンが隣り合って、その向かいにファミリーマートといった感じだ。
そんな中、路地裏という立地からか、明らかに客が入ってない某大手コンビニがあり、僕は敢えてそこを利用するようにしている。
さすが閑古鳥店だけあって、その活気の無さは特筆すべきものがある。いたずらで「たけのこの里」をひっくり返しておいたら、5日間ひっくり返ったままだった。どんくさい亀か。
結局5日後に僕が買ってしまい、なんだか不毛ないたずらに。
コンビニ、特に大手ともなると明確なマニュアルやら高度なPOSシステムやら、とにかく売るノウハウに関しては人類史上でも最強の部類だと思うのだが、なんだろう、このへっぽこな店舗は。実験か。どうしたら売れないかの実験か。それもまた人生か。いいのか店長。言いたい事があれば聞こうではないか。え?何?あ、はい、温めて下さい。
一般的なコンビニは常時10000点の商品が陳列されていると言われる。その50%が3ヶ月以内に入れ替わるそうだ。
その根拠となっているのがPOSシステムであり、またそれに従った陳列ルールが存在する。いわゆるセブンイレブン方式というやつだ。
例えばセブンイレブンでは、一番の売れ筋商品を棚の一番左120cmの高さに陳列する。その右に二番目、三番目と続くわけだ。これらの売れ筋がPOSシステムによって管理され、本部で集計された後、各店舗に陳列の修正指示がとぶ。そうやって新陳代謝を繰り返し、常に棚の新鮮さを保っているというわけだ。
僕が通っているコンビニのお菓子棚を見てみると、一番売れ筋であるべき特等席には「クランキーホワイトチョコ」。もう、2年くらい一貫してクランキー。それもホワイト。そこまでくると、王者の風格すら漂っている。
対して、末席に申し訳なさそうに陳列されているのがエブリバーガーというハンバーガーを模したチョコ菓子である。これは結構古株で、僕が幼稚園の頃からあるから、かれこれ20年来のキャリアだ。
一見して、どこか昭和を感じさせるイラスト。猫背にすら見えるたたずまい。蘇る僕の幼年期。突き抜ける青空、あの坂を越えれば海が見える。
20年間さほど陽の目を見ず、おそらくこのままひっそりと消えていくであろうエブリバーガー。その甘酸っぱい魅力に取り憑かれ、その実ただ甘いだけのエブリバーガーを、ついつい買ってしまう日々が続いた。
するとどうだろう。
一週間が過ぎた頃、エブリバーガーが最下段から、一段上がったのである。末席で所在なさげだったエブリバーガーが、ちょっとしたステップアップを果たしている。
向かいに座っている鈴本さんに「エブリバーガーは相当うまい!」と力説したら、鈴本さんはバカだから「買いに行きましょう」と乗ってきて、二人で行った。次の日も、鈴本さんと行って二個お買いあげ。さらに小山さんと稲本さんを巻き込んで、その日四個をお買いあげ。
まさに降って湧いたエブリバーガーブーム。まさにバブル。
するとどうだろう。
二週間目には、いきなり王者クランキーホワイトの真横に。最上段への一気呵成のステップアップ。
調子づいた僕たちは、エブリバーガー一日10個乱れ買いという酔狂を繰り返し、3週目、ついにクランキーホワイトを追い落としてトップの座に躍り出る。お菓子棚高さ120cm、一番左の奪取に成功。
まさに恐るべしはPOSシステム。飛び出す僕らのガッツポーズ。やったな、エブリバーガー!お気に入りのホストをナンバーワンにする快感を味わった思いだ。
ということで、やり方によっては、商品の陳列をかなり意図的に操作出来るという事実を発見。実験は成功。
次はポッキーイチゴ味で行ってみようと考えているが、その前に机に積まれたエブリバーガーの山を何とかせねばならない。
またもや不毛ないたずらだった気がして、多少の後悔がある。

しりとりなりの主張

先日、友人と3人(すべて男)でドライブに行き、ヒマだったので「靴下に入れられたらイヤなものでしりとり」をした。しりとりって「ラ行」とか、そういったマイナーな頭文字がキーで、僕は執拗な「プ」責めに遭い、時間ぎりぎりで「プリンセス天功」を主張したのだが、「靴下に入らない」として却下された。確かにそうだと納得してしまったが、よく考えると、靴下に入りそうだ。いや、入るのが仕事とすら言える。もっと粘って説得すべきだったと激しく後悔している。