バトルロワイヤル

かなり今さらなんですけど、『バトル・ロワイアル』を観てきました。

ご存じの通り、公開前から成人指定を巡って大騒ぎして、結局R−15指定と言うことでまとまったわけですが、僕は「うまい話題作りをするなあ、民主党とグルになって」なんか思っていたんですが、そんなことは無かったですね。

というのも、この映画はとんでもなく分かりやすく、単純に作られています。
今どきの映画で、「愛してたの…ガクッ!」って死ぬ演出はなかなかお目にかかれません。
その上、スカートの下にはフリル状のもんぺみたいなものをはいていて、パンツが見えてしまうことはありません。ヒットする映画に必須と言える、エロが徹底的に排除されているのです。(まあ、白々しい感じのセリフもありますが)

つまり、これは中学生にも観て貰えるように作られたようですね。
それを考えると、深作監督の忸怩たる思いが伝わってくるというものです。

で、内容なんですが、やはり残酷でしょう。普通に考えれば。
中学生が殺し合うわけです。そりゃあ、大人としてR−15指定をかけたくもなります。

確かに、テーマとして言いたいことは、けして暴力肯定ではないし、生きていく事を真摯に訴えているわけです。
しかしながら、そんな高尚なテーマより、暴力に反応してしまうのが中学生なんではないでしょうか。
ブルース・リーになりきったいじめっ子が、世界中にごまんと居るはずです。(古いか)

僕が中学生の親だったら、「絶対に観に行くな!」ときつく言います。

しかしながら、心の中では期待しているわけです。
親の言いつけを破って、バトルロワイアルを観に行くことを。

子供の好奇心と向上心、実行力の前には、大人の規制などは簡単に弾け飛んでしまいます。
親父が必死になって隠したエロビデオを、子供はいとも簡単に探し出し、親父が会社に行っているときにしっかりと観賞します。

僕がそうでした。

思い出すわけです。
ベッドの下を、ヒーターの後ろの戸棚を、必死の思いでエロビデオを探しているときの僕を。
想像するわけです。
何とか映画館に潜り込んで、バトルロワイアルを観れないかと、頭をひねらす僕を。

大事なのは、こういった必死の思いと、意気込みなんじゃ無いでしょうか?

大人の規制に反発して、観てはいけない、してはいけないことをする。
でも、それをやる前には「これから、重要な事をする(観る)」という覚悟が出来る。

そういう思いが、現実と仮想の区別が出来ない子供を減らし、モラルの崩壊をくい止めていくのではないでしょうか。

そんなことを考えると、大人の規制というのは、かなり厳しくてもいいのではないかと思います。
そして、大人が持つモラリティーも、、かなり厳しければいいのです。