ストーリーテリング

ストーリーテリング(01米)を観た。
belle&sebastianのサントラは持っていたんだけど、映画を観るのは今回が初めてである。
監督・脚本のトッド・ソロンズというと、ブラックユーモアと共に語られる事が多い人物だ。日本語でいえば、毒(説)ってところか。
第一部「題:フィクション」では、差別をしないという信念を自分に言い聞かせ、小児麻痺の男とつきあう女子大生の話。
第二部「題:ノンフィクション」は、ドキュメンタリー映像作家(自称)のトビーが無気力な高校生スクービーを主人公にした作品を撮る。
特に第一部と第二部との間に繋がりは無いらしい。もしかしたらあるのかも知れんが、僕は気づかなかった。
とはいえ、根底に流れているのは”人種差別”とか”倒錯した性”とか”経済格差”や”特権意識”など、未だに社会に巣くう根深い問題への考察だ。考察というより、今まで僕たちが見て見ぬふりをしてたものを「目おっぴろげて見ろ!耳かっぽじって聞け!」といった感じである。
だから、観ている最中、やたらと居心地が悪い。
僕はどうやら、映画にも(現実にも)わかりやすい救いを求めていたらしい。簡単に言えば、主人公は苦悩するけど、どこかでは救われるとか、登場人物の考えが善になっていくとか。そんな期待をもって映画を観ていたんだと思う。
でも、この映画は「あるもんはある。無くなりゃしねえ。そもそも、ほんとに悪いことって思って無いだろ?」とくるだけ。そのまま。
そんなわけで、映画の中の事件は必ず”善”なる結末をもって収束すると思っていると、すごく座りが悪くて落ち着かなくなるのだ。
人生が”善”なる結末を迎える事があるのだろうか。社会全体は救われるのだろうか。
人間はそれを期待しつつ、でもいろんな病巣からは目をそらす。病巣を見つめると、自分も病巣だって事に気づくから。
どうにも深そうな作品。業が深い。けっこうおすすめ。短いしね。
#ちなみに宣伝コピーは「君も悲惨か!?だったら泣け!」