誰も知らない

是枝裕和監督の「誰も知らない」を観た。
母親に置き去りにされた4人の子どもたちが、どこにでもあるアパートの一室で、彼らなりの生活をしていく。戸籍も無ければ、学校にも行っていない。そこで、まさに必然的に起こる悲劇。淡々と、丁寧に、彼らの目線で、彼らの日常が描かれていく。
現実の世界でも毎日いろんな悲しいニュースがあって、親がパチンコをしている間、車中に置き去りにされた幼児が死んだり、ストーカーに襲われる人がいたり。
人はとりあえず沈痛な面持ちで被害者を思いやり、加害者の悪や社会のひずみを語り、その実、あたかも被害者や加害者とは、まったく無縁の安全地帯にいると考えている。
でも、「誰も知らない」の子ども達は、僕たちの生活の延長線上に、いた。確かにいる、と現実感をもって実感する。
この感情がわき上がって来た瞬間、僕は「誰も知らない」に深い感動を覚えてしまった。
僕らの世代では言い古された事だけど、リアルじゃない現実。痛みの無い現実。
自分たちは「善良な市民」だと信じ、その状態が永遠に続くものだと思いこみ、異質で異常なものからは目を背ける。また、社会は異質で異常を必要以上に隠す装置を持っている。
しかし、彼らは、すぐ手の届く所にいる。歩み方によっては、簡単にそちら側にいってしまうのが、本当の現実。
そして、現実は僕たちの中にある。