古代中国の動物分類

ブラウザのお気に入りフォルダが壊れた。
カテゴリによって分類したサブフォルダが、全て無くなってしまった。
そもそも僕は、物事を分類するのが苦手である。
お気に入りのサブフォルダに関して言うと、その範囲の指定を大き過ぎず、小さすぎず、といった絶妙なバランス感覚をもって作成する必要があり、それは非常に困難な作業に思われる。
例えば、うっかり「インターネット」などというカテゴリを作ってしまうと、全てのサイトがそこに内包されてしまい、ちっとも分類とならない。といって、「yahoo!」などという細分化の過ぎるカテゴリを作るバカはいない。
では、「検索サイト」というのはどうだろう?
これはこれで、「ニュース」というカテゴリと重複する場合がかなり出てくる。
その結果として、僕はジャンルで分類するのをあきらめ、
①よく行く ②まあまあ ③そこそこ ④いらないけど、一応とっておく
などと、頻度で分ける事にしていた。
その結果、あまり整理となっていなかったのである。
ということで、この機会にさらなる画期的分類を編み出そうと、古今東西様々な分類法を調べていたのだが、その中に「古代中国の動物分類」なるものを発見した。
これは読んだまま、「古代中国では、動物をこのように分類していました」ということなのだが、なかなか興味深いので、紹介したいと思う。

「動物は、次のごとく分けられる」

と、やや大仰な言い回しで分類の羅列が始まるわけだが、まずは第一項。
 
a.皇帝に属するもの
まだ導入部のみだが、この分類の根底に流れるポリシーが伺われる。そして、どこか納得させられるパワーが感じられまいか。パワーの源は不明だが。
で、皇帝に属する動物。想像がつかない。ペットか。チワワか。
 
b.その他
いきなり、「その他」である。切って捨てるかのような「その他」。突き放す対応。微塵も感じられないやる気。
終わるのかと思えば、分類はさらに続く。
 
c.遠くから見ると、ハエ(ゴマ)のように見えるもの
ハエのようだが、ハエでは無い。ゴマのようだが、ゴマでも無い。じゃあ、何だ。そもそも、遠くからハエは見えるのか。
 
d.キチガイのように騒ぐもの
隣のバカ犬などはここ。間違いなく、ここ。あと、出川哲朗もここ。おばちゃんも大部分ここ。ヨン様って言った瞬間にここ。
とまあこんな風に、この分類を見ていると、「具体例をだせ!」と声に出したい欲求に駆られる。そんな期待に応える項目が次項から続く。
 
d.放し飼いの犬
放し飼い限定。キチガイのように騒がない繋がれた犬は、「その他」。異論なし。
 
e.乳のみ豚
乳を飲んでる豚限定。静かで、乳のみじゃない豚は、「その他」。
 
f.人魚
いねーよ、そんなの。
 
g.お話に出てくるもの
・・・・。
 
h.らくだの毛のごとく細い毛筆で描かれたもの
僕は重大な勘違いをしていたのかも知れない。それは、動物って何だろうという認識だ。
生きて動いてなければ、動物では無いのか?動物って、あなたにとって何なのよ?
この発想の広がりを抑制するもの、やはりそれは近代科学である。
ファインディング・ニモを見るような目で、世界を見ていきたい。全てのものに生命が宿っている。
さあ、襟を正して、さらなる項目に立ち向かっていこうではないか。
 
i.この分類自体に含まれるもの
ダメだ。意味が分からない。
えー、分類してきて、その分類に含まれる全て、っつー事は、全部って事か。全部か。全部一緒の分類か。いままでの分類は嘘か。騙したのね!
 
j.今しがた壺を割ったもの 
いまから壺を割ってきます。ファインディング・壺。